日本代表|MFの選択とW杯の結果|2006年ドイツ大会

さてさて。

連続企画の2回目。
今回は2006年ドイツ大会のプレビュー。

前回(2002年大会)の成績を上回ることを目指し、より攻撃力を高める方向に舵を切ったのが、2006年の日本代表。

監督はJリーグ草創期のレジェンドであるジーコ。

2002年の中心選手であった中田(英)を筆頭に、中村、小野、稲本さらには小笠原、遠藤ら攻撃的な中盤の選手が充実した世代です。

攻め込み押し込んでの勝利を誰もが期待し、日本史上最強とも謳われたジーコジャパン。

当然のように、メディアをはじめサポーターも前回のベスト16を上回る結果を望みました。

 

しかしながら成績は振るわずGL敗退(1分2敗)とさびしい結果に。GL3試合の結果は、以下の通りです。

  • 対オーストラリア(×)1-3
  • 対クロアチア(△)0-0
  • 対ブラジル(×)1-4

 

では、このへんで、テーマである「MFの選択とW杯の結果」について解説を試みていきましょう。

代表選手23人中MFの内訳は以下8人の通り。

氏名 攻守のバランス ポジション
稲本潤一 守備>攻撃 中盤全般
福西崇史 守備>攻撃 中盤全般
遠藤保仁 攻撃>守備 中盤全般
小笠原満男 攻撃>守備 中盤全般
中田英寿 攻撃 中盤全般
中村俊輔 攻撃 中盤全般
小野伸二 攻撃 中盤全般
三都主アレサンドロ 攻撃 サイド

 

目玉は黄金の中盤だったが

ジーコジャパンは発足当初、中盤に中田(英)、中村、稲本、小野を並べ、その陣容は、ジーコがブラジル代表の選手だったころの4人の中盤と重ねあわされ、黄金の中心とも形容されていました。

しかし、アジア予選やW杯常連国との試合を重ねていく過程で、守備力の欠如が露わになっていくことに。

その過程で、福西が守備的な中盤を任されるようになり、小野は先発から外れ、攻撃的な中盤の選手の選択肢は中田(英)と中村に絞られました。

さらに、当初のフォーメーションである、ブラジル型(鹿島型)の4-4-2から、3-5(4-1)-2へと配置を変更。

これは当然で、当初の先発メンバーは攻撃的センスに秀でているものの、守備に体力を割けるマインドがあるとは言いがたく、それができる稲本一人で中盤を守るのには限界があったからです。

さらに、その稲本もプレミアリーグのクラブチームを転々とし、常時の出場機会を得ることなく、2002年時の躍動感が失われ、徐々に活躍の機会を減らしていきました。

福西が台頭してきたのは、そういう事情もあったからですね。

 

汗かき屋の不在

ジーコは2002年の監督だった管理型のトルシエとは違い放任主義。

全体的に選手個々の判断に委ねることが多く、戦術的な「チームとしての守備」の構築にもそれほど力を入れていなかったように思います。

大人扱いしたかったのでしょうね。

また、そもそもジーコの好みが攻撃的な中盤選手に傾きがちであったし、守備はセンスでやれるものだと軽視していたのかもしれません。

しかし予選では、苦戦したものの大黒選手などの活躍により世界最速本大会出場を決めたことから、戦前は楽観論が主流だったように記憶しています。

というわけで、戦術的にナイーブで、攻めっ気の強い監督の好みを反映した結果、守備に比重を置いた選手は、稲本・福西の2名のみの選出。

振り返ってみれば、トルシエは「3人のCB」+「ボランチ2人」+「守備的なWB1人」の計6人でベースとなる守備を構築していました。

一方、ジーコの守備構築は次のようなものでした。

  • 4-4-2時:「2人のCB」+「ボランチ2人(守備専門者は置かない)」
  • 3-5-2時:「3人のCB」+「ボランチ2人(守備専門者は置かない)」

比較してみると、ジーコ時代は、トルシエ時代よりも単純に守備の人数が少ない。またボランチの組み合わせも、一人は攻撃的で一人は守備50:攻撃50くらいの比重を持つ選手で構成されていました。そりゃ3試合で7失点もくらいますよねという話です。

原因は明快で、「汗をかき走れる頑張り屋」がいなかったというのがその原因だと分析できるでしょう。

ジーコ・ジャパンのキーワード

トルシエ時代には、「フラット・スリー」「ポリバレント」「コレクティブ」などのような、具体的な戦術に関わる言葉がキャッチフレーズ化しました。

一方、ジーコ時代はと言うと「自由」「黄金の中盤」など曖昧でフワッとした言葉が使われることが多かったと思います。

さらには、大会中・終了後の以下の発言もフワッとした印象をより強めたのではないでしょうか。

  • 柳沢選手:得点機会逸時についてのコメント「急にボールが来た」
  • ジーコ監督:大会敗退の理由についてのコメント「日本人はフィジカルが弱い」

全てがフワッと曖昧で、なんとなく自由にやった結果の1分2敗。

日本サッカー史上最も期待値が高く、最も失望した大会だったと言えるでしょう。

ではでは。

【関連記事】
日本代表|MFの選択とW杯の結果|2002年日韓大会
●日本代表|MFの選択とW杯の結果|2010年南アフリカ大会へ続く(後日更新予定)。


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